「知らないということを”知っている”」という視点を持つこと【マインドマップ1年生!】
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最近ぼんやりと考えていることがあります。
それは、「知っている」ということについて。
もっと言うと、「知らない」を知らない・「知らない」が解らないということについて、かもしれません。

情報過多なこの時代、何事も知っていることが多ければ多いほど良い、という風潮がありますが、果たしてそれが本当にいい面しか持ち合わせていないのか?ということです。
つまり、「知らない」ことにメリットがあるということも言えるのではないか?ということ。

「知らない」というアイデンティティ


「知らない」ということが、アイデンティティの一つであることもあると思うのです。
「都会で暮らしたことがない」
「新幹線に乗ったことがない」
「誰とも付き合ったことがない」
「携帯を持ったことがない」
まあ極端な例ですが、これらはある意味、デメリットな様で、メリットでもあるのではないかと。
なぜなら、「知らないという視点を純粋に持っている」からです。

そして世の中には、「知らない」目線が必要とされるシーンも意外と多いものです。
分かりやすい例だと、新商品開発時のモニターとかですかね。初めて触れた人がどう感じるか?という声は、触ったものが動いったものであるかを「知らない」と出てきません。

一度「知って」しまうと、どう頑張っても「知らない」ときの感覚に戻ることはできません。
振りは出来るでしょうが、それはあくまでも振りでしかなく、純粋な「知らない」ではありえません。

例えば、私はマインドマップを「知っている」わけですが、仕事上「知らない」人へ見せる想定の資料を作成することがとても多いのです。
その場合に、純粋に知らない視点が持てないことで、少なからずうーんと悩む場面も多い。

例えば、上司が部下に対して「何でこんなことも知らないのか」と思うのは、部下の「知らない」を知らないため。
知識が深まれば深まるほど、知らない人の心境から剥離して行きます。「どうしてこんなことが分からないのか、理解が出来ない」というやつですね。
これも、「知らない」が解らないが故の一種の弊害であると言えそうです。

「知らない」と「知っている」は表裏一体


「知っている者同士」からこそ生まれるコミュニケーションは一般的ですが、「知らない人同士」だからこそ存在しうるコミュニケーションというのもあります。
これを例に上げるのもいかがなものかと思いますが、ネットでよく見られる「リア充爆発しろ」。
これは明確な「リア充でない(リア充を知らない)人同士だからこそ成り立つコミュニケーション」。勿論ネタとして乗っかっている人も多いと思いますが。

と、これを例に上げて気が付きました。
むしろ、「知らない」ということは、「知らないということを”知っている”」という意味で、「知っている」を持っているのだと。
この状態で「知る」と、「知らないということを忘れてしまう」ということになり、「知った」はずが「忘れてしまう(知らない状態になる)」ということになってしまいます。

つまり、何かを知るということは、何かを忘れることでもあると言えそうです。
それを思うと、人間の「知る」のキャパシティは、生涯一律であるのかもしれません。
その意味を変えているだけで、あくまでも「知っている」「知らない」の量は一定。オセロの黒か白かを、パチンパチンとひっくり返している状態なのかもしれません。

「知らない」を捨てると、二度と「知らない」を得ることはできません。
何かを知るということには、そういう側面もあるのだと、少しだけ気に留めておくのも悪くないかもしれませんね。

とはいえ、やはりモノを知るということに貪欲になるのも事実でありまして。
「ああ、今知らない人の心境が欲しいよ~」という場合に応じて、自由自在に「知っている」と「知らない」を切り替えられる頭があればいいのになー、なんて思ったりするのでした。

編集メモ


思っていることをつらつらと書いてみました。
賢い人が書くと、もっと論理的で哲学的な話になるんでしょうが、個人的な「へぇ~」なネタなのでこれでいいのです。
「賢い人の視点を”知らない”」私が書いた文章というのに意味があるのですよ!と綺麗にオチをつけてみたり。

ちなみに記事冒頭の写真は、巣鴨地蔵通り商店街のキャラクターのすがもんです。可愛いのです、イチオシなのです。
そう、これを見てしまった「すがもんを知らなかった人」は、私に「すがもんというキャラクターを”知らない”」というオセロの石を「知っている」にひっくり返されてしまったのです。
もう「すがもんを知らない」には戻れないのですよ…というトラップでした(笑)。

しかし、ふと感じていることをtwitterで吐き出して、その後に膨らんでいくのが最近のパターンになってきています。
twitterは、アウトプットのカケラの詰め込み場としてはとても良いです。
場合によっては他者からのフィードバックが来るのが、自分だけで溜め込む場合との差ですね。その後押しが楽しいです。





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